« 2011年9月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年10月

2011年10月31日 (月)

■不思議な球体の石は江戸幕末の大砲訓練の『石弾』か?

~江東区東雲公園ビオトープから出現した不思議な球体の石~

Photo_5◇2010年夏、江東区東雲二丁目公園PES(ポケットエコスポット)のザリガニ駆除の為、池を干し揚げる作業をしていた。堆積した泥を掻き揚げたら《不思議な球体の石》が出現した(下記写真)。野球ボールを一回り小さくした大きさで自然に出来た球状にしては表面に凹凸が無い。人工的な球体である。不思議に思いながら、捨てないで仏壇脇に置いておいた。実測すると【65mm】あった。

◇一昨日、これと同じ形状の《球体の石》に遭遇し、謎がとけた。10月29日(土)、静岡県伊豆の国市韮山の国の重要文化財『江川家住宅』(昭和33年指定)を訪ねた。江戸時代の伊豆・韮山代官を務めた江川太郎左衛門英龍(号・坦庵たんあん)とジョン万次郎との交流について財団法人江川文庫嘱託の橋本敬之氏にお話を聞くための訪問である。建物は慶長5年(1600年)頃建てられたもので一度も火災に遭遇していないため、江戸時代の代官屋敷の原型をそのまま維持するもので、国の重要文化財に指定されている。NHK大河ドラマ『篤姫』の撮影現場でもある。

Photo_7 ◇韮山郷土資料館も隣接し、江川英龍が幕府に提案したオランダ式溶鉱炉《反射炉》築造に関する展示物を見ることができる。そこに砲弾に《石弾》があるのを知る。石を丸く加工したものである。実弾用か、訓練用かは定かではないが、石の弾丸である。

◇それを見て、去年の夏、ビオトープに出現した《不思議な石の球体》は《石弾》に符合すると思った。同行の幅さんは江戸時代の越中島やお台場には大砲の訓練所があったという。断定は出来ないが、東雲の位置から《石弾》の可能性がある。

_243 ◇江戸幕末の石弾となれば、文明開化の息吹ととに韮山反射炉、黒船前後の歴史ロマンを搔き立てられる。

Photo ◇トップの写真は『カノン砲』と呼ばれるもの。平成10年3月、韮山反射炉敷地内に従来のコンクリート製のものに代わって復元された鋳鉄製24ポンドカノン砲が設置された。(説明:山田寿々六氏;同氏著『反射炉に学ぶ』参照)
◇右記の写真は射石砲(しゃせきほう)の一種、臼の形状から我が国では『臼砲』とも呼ばれているものでイタリア語で『ボンバード』(Bonbardo)という。中世に用いられた最も初期の大砲の形。当初はその名の通り石を打ち出すもので大体は攻城戦で用いられた。火薬の性能と共に石から鋼鉄の弾を使用するようになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■江戸幕末の江川英龍と韮山反射炉を遊歴する。

~砲台=台場は実践に使われることこなく明治維新を迎えた~

_261 ◇一昨日10月29日(土)、『ジョン万次郎・江東の会』メンバーの一員として江戸末期に大砲を造る反射炉を築いた伊豆・韮山の江川太郎左衛門英龍(号・坦庵)と韮山反射炉の遊歴に参加した。江川家とジョン万次郎との関わりを調査するためである。6万点に及ぶ資料「江川文庫」の整理データベース化を静岡大学と東京大学が共同で行っている。近く一般公開されるのでジョン万次郎と江川家との交流の詳細の調査はそれからとなる。(財団・江川文庫嘱託橋本敬之氏談)

◇江川坦庵は、ペリーの率いるアメリカ軍艦4隻が浦賀に来航した嘉永6年(1853年)に幕府に対して、蘭学の知識からオランダ式反射炉築造の建議書を同年7月に提出。12月に幕府が3,700両余の資金で許可し、伊豆下田に反射炉の築造を開始したが、翌年の安政元年(1854年)に伊豆韮山(現在地)に反射炉を移築した。三年後の安政4年(1857年)に反射炉は完成したが、坦庵は完成を見ずに安政2年(1855年)1月に没した。家系は現在も続き一昨年41代(ガン研究者)が亡くなり、現在、42代(建築家)が当主となっている。

◇中世からの歴史をもつ江川家の屋敷は慶長5年(1600年)頃に建てられたもので一度の火災に遭わずに江戸時代の代官屋敷の原型をそのまま見ることができる。江戸幕府の代官役所、明治政府の地方行政の中核となった。国の重要文化財に指定されている(昭和33年)。NHK『篤姫』の撮影現場となった。

◇江川家住宅(江川邸)は韮山役所跡であり、韮山郷土資料館にもなっている。ここで思わぬ発見をした。実弾か訓練用の砲弾代わりか分からないが、石を丸くしたボール状『石弾』が展示してあった。2010年夏、江東区東雲2丁目公園内にあるビオトープ・メンテナンス時、発見した《不思議な球体の石》と符合する。同行の幅さんの話によると、越中島や御台場には大砲の訓練所があったという。そこからの飛来してきたものか、土地整地時に運ばれてきたものか。ひょっとしたらこれは、江戸幕末製『石弾』ということになる。追って、ブログします。

Photo_2 ◇反射炉の使用が中止される元治元年(1864年)までに大砲数百門が鋳造された。品川の御台場に11台場と御殿山下に1台場の12台場が築造計画されたが、品川沖5基と御殿場下1基、半分の6台場で停止した。現在、第三台場と第六台場が国の指定なっている。残りは解体と埠頭の下に埋もれている。砲台(台場)は品川台場だけでなく神奈川台場や北のロシアに対し函館湾等「台場は全国1000カ所以上造られた」(江東区教育センター落合静男氏)

◇現在、地元では史跡・韮山反射炉の世界遺産登録の準備が進められている。反射炉の歴史と構造について、現地の山田寿々六(やまだ・すすむ)さんがユーモア交えてユニークなボランティア・ガイドをしていただいた。著書『反射炉に学ぶ』プロフィールを読むと静岡銀行をへて現在(株)蔵屋鳴沢(お茶の生産と販売)顧問。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年12月 »