« 2018年7月 | トップページ

2018年10月

2018年10月19日 (金)

■中西輝政著「乃木希典ー日本人への警醒ー」

~平成二十一年三月十三日、乃木神社例祭の際、乃木会小堀桂一朗会長より『歴史街道』「乃木希典」を近年の諸作の中で傑出した乃木伝として紹介した。中西輝政氏の快諾を得て、乃木将軍の至誠・大義を活写する歴史書として平成二十二年四月乃木神社宮司高山 亨氏によって上梓された。~
◆父・林寛(はやしひろし)は昭和三十年(1955年)新東宝に入社した。56歳(1959年)の時、『明治大帝と乃木将軍』(1559年)の主演が決定し、次のような記事が週刊誌(週刊明星)に掲載された。「18歳の時に石井獏の東京オペラ座に入ってから、38年目にめぐってきた。はじめて主役である。クレジット上は脇役扱いだが、明治天皇役の嵐菅寿郎が最小限の出番だったこともあり、事実上出ずッぱりの主役待遇であり、初めての主演映画となった。前年(1958年)の『天皇皇后と日清大戦争』、前々年の『明治天皇と日露大戦争』でも嵐寛寿郎ともども同じ乃木希典を演じている。」渡辺邦男監督の乃木起用が輝いていた。

38_101jpg
◆司馬遼太郎は「坂の上の雲」で「乃木愚将軍」として無能な指揮官と評価した。一般人の「軍人乃木」像に対する強い嫌悪感を持っていた。昭和軍人が作った「精神主義」と日露戦争時の旅順攻防戦における乃木の「戦下手」の無能さを強調していた。
最近の研究では明治という時代が乃木という人間を必要でした。「明治の精神」や「日本人のこころ」精髄を見出し、乃木への親愛と愛惜の情を持たれるようになった。乃木を学習院長に任じ、皇孫の教育を託する相手は乃木以外にない、とお考えになったからでしょう。天皇の崩御を悼む中、天皇のあとを追って自宅にて乃木は古式に則って切腹、妻静子と行をともにして自刃した。享年六十四。
◆「明治の武士」乃木希典が貫いた天皇と国家に対する最後の奉仕の姿だった。
戦後、唯一の拠り所であった「経済力」を喪失して茫然自失している現在の日本人に己を虚しくして大義に殉じるという「明治の精神」の輝きを、いま再び思い起こさせるのではないでしょうか。と、中西輝政は「乃木希典ー日本人への警醒ー」で強調している。

_6

_31

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年7月 | トップページ