映画

2016年1月 1日 (金)

■追悼2015 最後まで独身を貫いた原節子さんが逝去

Photo_2◇最後まで独身を貫いた女優・原節子さんが9月5日に逝去していたことが、3カ月近くも過ぎた11月25日に明らかになった。巨匠・小津安二郎氏の死去後、42歳で忽然と銀幕から消えてしまった。その隠遁生活が小津安二郎との“殉愛伝説”を生んだ。1949年『晩春』をスタートに『麦秋』『東京物語』で“紀子”の名前で出演し、いわゆる“紀子三部作”の名作を残している。

◇原節子の誕生には、姉の夫である映画監督の熊谷久虎からの「女優にならないか?」の声掛けがあった。また、原の実兄で撮影技師の会田吉男がいたことも機縁していた。戦前から多くのスターたちのマネージメントしていた、後に新東宝の取締役撮影所長となる星野和平が監督の熊谷久虎を代表に立て、同じく監督の倉田文人、森永健次郎、俳優の佐分利信らと設立した芸研株式会社の第一回作品である『殿様ホテル』(1949年)に女スリ役で原節子が特別出演している。

◇この映画は最近原節子、幻の出演作として現存する貴重な作品である。原節子との共演は無縁と考えていた父・林寛(はやしひろし)が満員の路面電車の中で女スリ原節子にサイフをすられる役で共演している。

◇この原節子の切り絵は、パソコンソフトで写真を「二値化」(白黒にして)切り抜く手法で制作した切り絵である。“顔の線画を一気に描くのが難しい”と言っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 8日 (火)

■原節子、幻の出演作!『殿様ホテル』(芸研、1949年)を見る

~父・林寛が唯一原節子さんと共演した映画、『殿様ホテル』を見る~

2015年11月25日、原節子さんが2015年(平成27)9月5日、肺炎のため神奈川県内病院で95歳の生涯を閉じた。訃報は没後約2ヶ月半が経過した11月25日にマスメディアで伝えられた。

この訃報を知る以前に父・林寛(はやし・ひろし)が出演している映画が見つかったので見にいらっしゃいませんかのお誘いがあった。案内してくれた人は中川信夫監督偲ぶ会『酒豆忌』実行委員の横山俊雄(谷 輔次)さんと、下村 健さんの両人である。下村さんとは9月20日(『「粘土のお面」より かあかちゃん』上映後、二木てるみさん、津沢彰秀さん、司会:下村 健さんとのトークショーでお会いしている。横山さんとは、平成27年10月27日に大森の居酒屋で千葉豹一郎さんの仲介で再会している。その時、ご紹介頂いた新東宝で髪結いをしていた平林さんに『世界の母』(監督:野村浩将、1958年製作)の撮影終了時の貴重な集合写真を頂いた。父・林寛が主演でキャストされているが映画は見ていない。

会場は銀座8丁目「TCC試写室」、こんなところに試写室があるとは知らなかった。総座席数48席、椅子席を5~6席を増設して満席。昔の古い映画を発掘し上映を企画して見せる。それを見に来る観客がいる。映画の魅力である。

Photoどんな内容の映画かは映画を見るまでは知らなかった。原節子さんが超モダンなファションで現れた。初めて見る原節子さんの人物像である。父・林寛が満員の路面電車内で集金してきたばかりの金が入ったサイフを女スリ(原節子-長岡アキ)に抜き取られる。

父が原節子さんと共演した唯一の映画である。原節子さんの実兄で撮影技師の会田吉男はこの作品からキャメラマンとして一本立ちしたという。『殿様ホテル』は(1949年芸研株式会社製作)倉田文人監督の第一回作品である。

Tcc(あらすじ)華族制度の廃止で平民となった"殿様"(河津清三ー花小路安直)がかつての封建的な生活を捨てて、働く人たちの役に立ちたいと、夫人(真山くみ子ー朝子)の猛反対を押し切って自宅を改造し「家庭旅館」を始めた。旅館の営業は順調な滑り出しを見せたかと思われたが、やってくるお客は連れ込み客やおめかけさん、はたまた女スリ(原節子ー長岡アキ)などの花小路の思惑とは違う客ばかり。

(作品解説)『古川ロッパ昭和日記 戦後編』によれば、倉田文人が執筆した本脚本は、小国英雄、古川ロッパが東横映画で撮影すべく検討した経緯があるという。

父・林寛は戦前、『古川ロッパ一座』の中堅幹部で活躍していた。林寛がこの作品に出演している由縁と思われる。。〝林寛が寺島雄作という役者連れて来たり、(中野実の紹介状あり)入座の希望。中野実氏のとこへ行く約束する"(昭和9年3月18日古川ロッパ日記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月21日 (水)

■岩下志麻さんの「小津監督は赤がお好き」の謎を解く

~キドラ古墳壁画に見る小津監督の自然信仰の宗教観~

◇昨年2013年8月9日、小津安二郎生誕110年没後50周年を記念して遺作の『秋刀魚の味』が江東区文化センターで上映された時、岩下志麻さんがゲスト出演した。真っ赤な衣装つけてステージに現われた。「今日は小津さんが好きな『赤』に合わせて赤の衣装できましたと説明があった。古石場文化センターの小津紹介コーナーにも赤のヤカンが展示されていていたので小津監督の赤好みは何となく知っていたが、改めて『秋刀魚の味』をじっくりと見てみると岩下志麻さんの言う通り、確かに映画の場面隅々に小道具や置物の形で赤いものが必ず配置されている。ときには飲み屋の赤提灯が画面いっぱいに映し出される。その時以来、小津監督の赤好みが気になった。

Iwashita_01 ◇今年4月、古石場文化センターで恒例の全国小津安二郎ネットワークに総会が開催された。立教大学現代心理学部前田英樹教授による特別講座が設けられた。詩と批評「ユリイカ」(2013年11月臨時増刊号)総特集『小津安二郎』~生誕110年/没後50年~の中の論考『麦秋』の大和ついて語ってくれた。前田教授は、「大和はええぞ。まほろばじゃ」と老優・茂吉(高堂国典)が語る「大和」は奈良・明日香村よりもっと古い都跡、「桜井」が「大和」であるという。その背後に見える「三輪山」が日本最古の神社、大神(おおみわ)神社の御神体そのものであり、『万葉集』の本拠地であり、六世紀に大陸から仏教が渡来したところである。春に土壌を整え、籾種を育て、苗を水田に植え、秋には稲穂を刈り取るという太古からの「大和」の農耕民の生き方は日本文化の源流であり、稲作信仰の根源であるという。

Sujaku_01◇今、上野の国立博物館で「キトラ古墳壁画四神の特別公開」が開催されている。古代中国の「陰陽思想」と「五行思想」から発展して「陰陽五行思想」や「風水思想」として日本に普及した当時の状況が手に取るようによく分かる。前田英樹教授のいう大和文化と小津安二郎の繰り返しの「循環思想」の根源を想起できる。キドラ古墳壁画の四神の一つ南の守護神「朱雀」の色は家族の繋がりの象徴である「血」の色であり、深川に生まれた小津監督が日常生活に見てきた富岡八幡や深川不動の建物や欄干や鳥居に見る「朱色」の赤である。

◇「小津監督は赤がお好き」の背景には古代中国の「陰陽思想」と「五行思想」に基づく「陰陽五行思想」や「風水思想」が想起される。前田英樹教授が唱えた「小津映画には自然信仰の宗教心がある」と云った一言と岩下志麻さんの「小津監督は赤がお好き」の一言が「キドラ古墳壁画四神」の「朱雀」と合致した。

Kitora_tenmonzu◇天文図・日月像(キトラ古墳壁画・天井)

キトラ古墳壁画の石室天井の中央にある天文図 には東西に日像と月像が描かれている。天の赤道(内軌)と同心円(外軌)に黄道が中心を北西にずらしてそれぞれ朱線で描かれている。直径は順におおよそ16.8㎝、40.3㎝、60.6㎝、40.5㎝である。中心に北極五星と北斗七星、二十八宿など68星座、約350個の星を配する。星座は朱線で結ばれ、直径6㎜または9㎜の丸く切った金箔で記されている。天文図に接して、日月像が陰陽の原理に基づき東西に描かれている。

◇玄武(げんぶ)は北を守る神獣。色は黒、季節は冬を象徴する。亀に蛇が絡み付いている姿。古代中国では、亀を雌、蛇を雄と見なし玄武の「玄」は黒色、「武」はよろいを身につけた武装した動物、すなわち亀をさす。

◇青龍(せいりゅう)は東を守る神獣、色は青(緑青)、季節は春を象徴する。

◇白虎(びゃっこ)は西壁に描かれており西を守る神獣で、色は白、季節は秋を象徴している。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年4月20日 (日)

■警視庁音楽隊水曜コンサート「小津安二郎三部作」演奏

~警視庁音楽隊「水曜コンサート」2014年~

今年最初の警視庁音楽隊(藤崎凡隊長)による「水曜コンサート」(主催:東京都、東京芸術劇場、毎日新聞社、協賛:東京ガス)が416日、日比谷公園小音楽堂(千代田区)において開催された。(毎日新聞記事)曲目▽小津安二郎映画三部作とあった。正午から1時間のイベント、記事に気がついた時には終わっていた。問い合わせ先の東京芸術劇場に電話したら親切にチラシをFAXしてくれた。

小津安二郎映画三部作とは「東京物語」「彼岸花」「秋刀魚の味」三作品のオリジナル主題曲。この曲は警視庁音楽隊第4代隊長斉藤高順(さいとう・たかのぶ。1924-2004年)が作曲したもの。斉藤髙順は東京音楽学校(現東京芸術大学)卒業。戦中は陸軍戸山学校に在籍。戦後は映画音楽を中心に作曲家として主に小津安二郎作品の音楽を手がけた。『東京物語』以降『お早よう』『小早川家の秋』を除く全ての小津作品で音楽を担当した。

Suiyou_concert_01_3

 

斉藤高順の映画音楽

・お茶漬の味(1952年、小津安二郎監督)

・東京物語(1953年、小津安二郎監督)

・少年死刑囚(1955年、吉村簾監督)

・早春(1956年、小津安二郎監督)

・東京暮色(1957年、小津安二郎監督)

・彼岸花(1958年、小津安二郎監督)

・浮草(1959年、小津安二郎監督)

・秋日和(1960年、小津安二郎監督)

・秋刀魚の味(1962年、小津安二郎監督)

・みにくいアヒルの子(1970年、渡辺和彦演出

◇今後の日程

・5月7,14,21,28日・6月4,11,18,25日・7月2日・9月3,10,17,24日・10月1,15,22日

演奏は正午から1時間・入場無料、雨天中止。問い合わせは東京芸術劇場(03-5391-2111)

http://www.youtube.com/watch?v=GNaV1Vd_Ix8

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2013年12月12日 (木)

■今日12月12日は小津安二郎の生誕110年、没後50年です。

~第7回江東シネマフェスティバルの準備が整いました。~

・英国映画協会が発行する「サイト&サンウンド」誌が主催、十年ごとに発表する「オールタイムベストフィルム」(2012年版)監督部門で小津安二郎監督の「東京物語」第1位に輝いた。21世紀において日本の映画・監督が世界映画史上に金字塔を打ち立てたことを意味する。
・明治36年(1903年)、現在の深川に生まれた小津安二郎を顕彰する上映活動が毎月古石場文化センターで行われている。年に一度、区民を中心とした映画愛好家によるシネマサポーターが企画段階から参画し、運営をサポートする協働型イベント、江東シネマフェスティバルが開催されている。今年で第7回を迎える。定例サポーター会議が5月からスタート。

□第7回江東シネマフェスティバル(2014年1月11日~13日)

小津作品から「一人息子」(昭和36年)と「麦秋」(昭和51年)の2本が選択された。渋谷実監督「本日休診」(昭和27年)、成瀬巳喜男監督「娘・妻・母」(昭和35年)、新藤兼人監督「裸の島」(昭和35年)、是枝裕和監督「歩いても歩いても」(平成20年)、佐々木啓祐監督「鐘の鳴る丘」(隆太の巻)、そして毎年評判の「無声映画特集」に内田叶夢監督(弁士:内山菜々子、楽団:カラード・モノトーン付)「虚栄は地獄」(大正14年)とF・ボーザージ監督(弁士:澤登翠)「第七天国」(1927年/昭和2年)がマツダ映画の協力で決定された。この内、「歩いても歩いても」と「麦秋」は視覚障害者のための映画音声ガイドつき上映である。
◇ゲスト出演には円谷プロ「ウルトラマン」プロデュサー熊谷健さん、新藤兼人監督のお孫で映画監督の新藤風さんやフリーアナウンサー徳光和夫さんが登場し、映画祭を一層楽しませてくれる。徳さんこと徳光和夫さんは大学時代の放送研究会同期のよしみで参加して頂いた。昭和に生まれ共に生きてきた昭和時代を語ってほしいとお願いしたら快く承諾頂けた。◇「鐘の鳴る丘」は懐かしい菊田一夫の出世作「ラジオドラマ」の映画版であるが、上映後、若手声楽家として活躍し古石場文化センターを拠点とする男声合唱団「パパス・コーラス」や混声合唱団「フリューゲル~翼~」を指導する福山出(いずる)さんには観客とともに「昭和歌謡」を歌ってもらう。
2013_2_62013_3_7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年8月15日 (木)

■『蓼科日記(抄)』の読み方をはじめた。

Tateshinanikki□小津、野田両氏はそれまで湘南の「茅ヶ崎館」をシナリオ執筆の場としていたが、1956年の『東京暮色』から信州蓼科の野田氏の山荘「雲呼荘」に移す。そこに訪れた来荘者に何かを記すことを義務付けたのが『蓼科日記』である。その抄本が8月1日付刊行(小学館スクウエア)された。
□この本の発起人代表の山内静夫氏が刊行の辞で述べているように戦後の小津、野田両氏による『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる「紀子三部作」は、小津作品の価値を世界に知らしめたもので、それは野田と小津との協働による名シナリオがあったがゆえにと、言っている。
□小津安二郎に関する一次資料は田中真澄編著『全日記 小津安二郎』(1993年)や関係者による著作は多いが、『蓼科日記』は蓼科高原での野田・小津コンビによるシナリオ創作過程や交友関係を知る第一級の資料と以前から期待されていた。小津安二郎ファンや研究者には必読本である。
□まだ第1章を読みだしたばかりであるが、本文に係る《第1章注釈2》野田高梧さんの妻・野田静さんの項の内容が改めて確認できたことは大きな発見であった。静さんが小津さんと同じ深川の明治尋常明治小学校の同窓生であったことは、古石場文化センターでの2012年の小津関連講座で口頭では聞いていたが文献として確認できたことは大きな収穫であった。
□野田静(のだ・しず1902~2002)野田高梧の妻。旧姓・山田、二男三女の長女として東京深川に生まれる。東京市深川区立明治尋常小学校では小津安二郎の同窓(静が一学年上)であったことを、蓼科での小津との会話ではじめて知った。大正十年に結婚、二女の母となる。昭和十一年から鎌倉市浄明寺に居住。サッパリとして面倒見がいい性格は戦後、近辺の若者たちから「オバさん」と呼ばれ、慕われた。(P53)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月25日 (土)

■小津安二郎、映画部門二種目で金賞・銅賞受賞、世界の頂点に

~江東・下町深川生まれの小津安二郎が世界映画史の頂点に~1953s28
・ロンドン五輪の真最中、英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が世界に向けて2012版映画ランキングを発表した。小津安二郎監督の『東京物語』が映画監督部門で「一位」、映画批評家部門で「三位」に選出された。オリンピックで言えば、金賞、銅賞の二種目制覇の受賞である。このニュースはオリンピック・ニュースでかき消されて、新聞記事に小さく取り上げられて程度のニュースで終わっている。
・先に当該ブログで取り上げたが、《今、何故、小津安二郎は世界映画の頂点に立ったのか》と問いつつ、もっと広く大きく取り上げられなくてはならない。小津映画は世界に普遍の《家族》をテーマにしているからということだけでなく、もう一つの隠れたテーマである日本の伝承文化の芸術的映像的表現が認められ、今、花咲いたのだと思う。
・このニュースはグーグル自動検索で8月3日に知った。8月5日、鎌倉・麦秋祭(上映:「父ありき」)出席前の墓参にていち早く報告できた。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月 7日 (火)

■小津安二郎監督『東京物語』が第1位ランキング

~「映画監督が選ぶベスト映画」に小津安二郎監督『東京物語』が第1位~

025
■英国映画協会(BFI)が発行する映画雑誌《Sight&Sound》誌は、「映画監督が選ぶベスト映画」1位に、小津安二郎監督の『東京物語』を選出。同じく、同誌の「批評家が選ぶベスト映画」でも『東京物語』を3位に選出した。
・このランキングは、世界最古の映画協会の一つであるBFIが1952年から10年に一度発表しているもので、その2012年版である。映画関係者の内「批評家が選ぶベスト映画」と「映画監督が選ぶベスト映画」の2種から成っており、今年は前者に846人が、後者に358人が参加した。
・「映画監督が選ぶベスト映画」1位の小津安二郎監督の『東京物語』は前回は圏外であったが、前回(2002年)1位のオーソン・ウェルズ監督の『市民ケーン』(今回2位)を超えてのランクアップである。スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(前回圏外)が『市民ケーン』と同位2位でランキングされた。前回トップ10入りしていた黒澤明監督の映画『羅生門』と『七人の侍』が圏外となり、今回は唯一『東京物語』だけが日本作品から選出となった。
・一方、「批評家が選ぶベスト映画」では、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『めまい』が第1位。2位は『市民ケーン』、3位は『東京物語』となっており、こちらでも『東京物語』が唯一日本作品としてトップ10入りしている。小津安二郎監督の海外人気の高さを見せつけている。小津監督が映画を単なる娯楽映画としてではなく、日本の文化を伝える芸術映画としてとらえ、精進してきた賜ではないだろうか。

■英国映画協会(BFI)発行:《Sight&Sound》誌発表(GOO映画編集部・福田麗氏)ネット記事抜粋。
2012_2











| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月19日 (土)

■中川信夫の世界を知る24作品を一挙上映

~『中川信夫の全貌』シネマヴェーラ渋谷5月19日~6月15日開催~

51961520121
中川信夫(1905-1984)は京都生まれの映画監督である。怪談映画の巨匠として名を残すが、“怪談映画は、全97作品中8作品しかない”と、「怪談映画の巨匠」と突出して語られることに本人は不本意であったようである。実際、多種多様な作品を残した監督である。
□しかし、本人の思いよりは世評が高く、「怪談映画の巨匠」の称号は免れないようである。中川信夫監督が初めて手がけた怪談映画は新東宝で製作した『怪談累が淵』(1957年)である。『亡霊怪猫屋敷』(1958年)、『憲兵と幽霊』(1958年)と怪談映画製作が毎年続いた。翌年の『東海道四谷怪談』(1959年)が決定的な評判となった。
父・林寛(1905-1971)は中川信夫監督と同じ明治38年生まれで同じく京都生まれである。同郷のよしみからか、中川映画には多く出演している。一番多く出演した監督である。今回の24作品中6作品に出演している。怪談もの『亡霊怪猫屋敷』『東海道四谷怪談』『地獄』3作品に出演している。
3_26_34_5□新東宝が「一億人一人残らず見る映画と喧伝した渡辺邦男総監督『明治天皇と日露大戦争』(1957年4月公開)で乃木役で出演した父・林寛が翌年の中川信夫監督の『亡霊怪猫屋敷』に出演した時に“乃木さん、お化けになる”と新聞記事になったのを覚えている。
今回の『中川信夫監督映画特集』で父が出演する映画が6作品も見れるのは家族としてもうれしい。
□中川信夫監督を偲び毎年集う「酒豆忌」の存在を今回初めて知ったが、映画祭を企画し実行するできる絆の強さは中川信夫監督の人柄や人徳の賜であろう。それは初日上映の『憲兵と幽霊』出演の久保菜穂子さんと「酒豆忌」を主宰する鈴木健介監督とのトークショーでのお二人の会話内容からも証明された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月 6日 (日)

■神保町シアター『巨匠たちのサイレント映画時代Ⅱ』を見る。

~サイレント映画はすでに完成した芸術であった~

2012_2□2012年はサイレント映画にとって記念すべき年になった。サイレント映画時代をテーマにした『アーティスト』(ミシェル・アザナヴィシウス監督)が世界の映画ファンに素直な感動を与えた。アカデミー賞作品賞受賞した(最多5部門受賞)。

神保町シアター(千代田区神田神保町)はサイレント映画上映に先進的である。お正月『巨匠たちのサイレント映画時代』に続く第二弾(Ⅱ)がゴールデンウィーク2012年4月28日(土)~5月11日(金)、サイレント映画特集が上映されている。神保町シアターは我が国唯一のスクリーン脇に『アップライト』=写真を備え付けたシアターであるという。期間11回上映(短編入れて全14本)にピアノ演奏者5名による音楽が付いている。映画によっては弁士付である。

□神保町シアターの先進的なサイレント映画上映も高く評価されてよい。写真(中央)黒田京子さんは今日、5月6日上映、内田吐夢監督『警察官』(1933年新興キネマ作品)のピアノ演奏者。上映演奏後、ご自分の演奏台本と演奏内容について説明してくれた。“出来るだけ音楽のない無音の空間をつくることを心がけている”という。

Dscn2331 □小津安二郎監督は生涯に54本の映画を撮った。その内フィルムが残っているのは37本、サイレント17本、トーキー20本である。サイレント17本に5本を加えた22本が戦前の映画である。今回、小津監督のサイレント映画6本がカバーされている貴重な機会を得た。巨匠たちのサイレント映画はモノクロ、トーキーに関係なく、映画の原点は映像にあることを証明してくれた。特に、サイレント時代の小津映画はいずれも習作ではなく、すでに優れた芸術映画であった。

□深川は小津安二郎監督の生誕地である。その縁から江東区古石場文化センターでは、毎月映画上映を行っている。そのほか正月には『江東シネマフェスティバル』を開催している。三年前からシネマサポーターとして参加している。今月(5月12日)から《第6回》開催の準備に入る。

□『江東シネマフェスティバル』では、関連イベントとして自主制作上映会『みんなのロードショー』の募集・上映を行っているが、サイレント映画を目指しオリジナルな秀作を制作している《ムービー古石場》(主宰・幸田雄二チーム)の自主制作活動も注目される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)