■もう一人の「林寛」(はやし かん)1908年(明治41)9月19日~、本名・杉本正夫。東亜を振り出しに東活、富国映画、宝塚キネマ、第一映画を経て35年極東入社、「益満休之助」等に出演、極東の分裂で甲陽に行き「元和三勇士」等に出る。今井映画から38年極東に復帰、「陣太郎笠」等に出演→1940年「風雲白虎隊」から林武憲(はやし ぶけん)と改名、極東に最後まで在籍した。混乱するのは、ロッパ一座から日活、大映を経て新東宝のバイプレヤーで活躍した同名の林寛がいること。全く同時期に日活と極東に林寛が二人いたのである。{(永田哲朗編『日本映画人改名・別称事典』(国書刊行会2004年発行)より抜粋}
注1)ロッパ一座から日活に入社し最初の出演映画「私に太陽」(島監督)撮影中に次の映画「キャラコさん」(轟夕起子主演、森永健次郎監督)出演に対するインタービュー記事の林寛には「はやしくあん」のルビが打たれている。
注2)2013年の「酒豆忌」(中川信夫監督を偲ぶ会)で北沢典子さんにお会いしたときは「かんの息子さん」言っていた。撮影現場では「はやし かん」で通していたらしい。
注3)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の林寛(はやし ひろし、1905年~1971年)に「極東時代」の項に「もう一人の林寛」の記事が混載されていたので永田哲夫氏の文献を添えて削除させて頂きました。(遺族長男・稲垣一彦)