父・林寛(本名:稲垣三郎)は1905年(明治38年)1月31日、京都府京都市に生まれる。旧制・同志社中学校(現在の同志社高等学校)を中途退学して浅草のオペラ一座に就いて東京に来たと父から聞いたことがある。極東キネマ甲陽映画の第1回作品『剣聖荒木又衛門』(1935年)をスタートに1935年(昭和10年)に4本、1936年(昭和11年)に3本、1937年(昭和12年)2本、1939年(昭和13年)3本、1940年に極東キネマで2本、同じ1940年に日活多摩川撮影所で『風の又三郎』(監督島耕二)等3本の映画に出演している。
1940年6月に筆者長男・稲垣一彦が東京市世田谷区で生まれている。この写真はこの頃のものである。母親の写真アルバムに次の新聞記事『古川ロッパ一座から日活へ』と一緒にあったものである。