明治政府は19年に初めて実測に基づく地図を作成した。この地図は江東・深川区富岡八幡宮周辺の地図である。明治時代となっても江戸幕府時代の地勢と情景を残している。富岡八幡宮周辺はまた水運(水色)で囲まれており、現在の【大横川】は【二十間川】名称のままである。【牡丹町・佃町】と【海邊新田】との間には堤防(緑色)があり、その先は【越中島】の名称に変わっているが、江戸時代の名所洲崎の風静を残している。【越中島】は江戸幕末のペリー来航に対する海防のために造られた【砲台】いわゆる【台場】(朱色)がそのまま残っている。明治政府の富国強兵政策に基づき【練兵場】となる。