天正18年8月1日(1590年8月30日)、徳川家康が関東下降の際、摂津国佃村および大和田村の漁民33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)に鉄砲州向かいの百間四方(約180㎡)干潟を幕府から下腸された漁夫が埋め立てられた築島に永住した。この島を「佃嶋」、村名を「佃村」と命名した。その後、享保4年(1719)に富岡八幡宮の海浜に佃島漁民の網干場として土地(助成地)が与えられた。「深川佃町」と称した。今の牡丹二、三丁目辺りに佃島住吉神社より分霊された。